■地固め療法2回目(メンタルブレイク)

辛い日々がつづくと心が折れてくる。このだるさ、吐き気、倦怠感、何をするにも億劫な日々、いつまで我慢しないといけないのか。ベッドの上に三角座りをして、廃人のような顔で、ぼーーっと考えている。ご飯も美味しくない、体も動かない、髪も無い。完治の見込み時期もない、一生この病気とともに生きていかないといけないのか?たとえ退院できても健康だった状態まではもどれないのではないか?なんで自分がこの病気になったのか、神様に問いたい。なんで自分なの?なにがいけなかったの?と、悶々と考えてしまう。

そんな辛い日にふと携帯をみたら実家の親から着信が入っていたのに気付いた。かけ直すことに。なお、親は関西の田舎に住んでおり年に1~2回会う程度、今回病気になってからは1度だけお見舞いにかけつけてくれただけである。

私  icon-mobile-phone 「もしもし。」父親が電話に出た。
父親 icon-phone 『おー、声をききたかったんや。』『体調どうやー。ごはん食べれてるか。』『頑張れよー。』
私  icon-mobile-phone 「・・・・。」カチンときた。

私  icon-mobile-phone 「頑張れ、頑張れ言うけど、何を頑張れっていうんや!そっちはいいよなー、なんも行動でしめさず、遠くで勝手に頑張れとか心配とかしてればいいだけで、一回代わってほしいよ!どんだけ辛いか!」「味覚障害に一回なってみればいい。どんだけご飯が美味しくないか。病院食が運ばれてくるだけで恐怖を感じるんだから。」

私  icon-mobile-phone 「義母はうちの家にきて子供の面倒を見てくれてる。うちの隣のおばちゃんなんて一時退院した時は泣いて喜んでくれたし、大変だろうからってご飯を差入れしてくれてるのに。うちの親は何もしないで頑張れーと言うだけか。」(うんぬんかんぬん・・)

この辛い状況の愚痴を親にぶつける。うちの親は田舎に住んでいるためそんなにこっちに来れないのはわかってても言ってしまう。いい大人が70の年老いた親に愚痴を言うのもどうかとは思ったが・・、本当は私が親孝行する歳なんだろうけど・・ただ、親に愚痴・ストレスをぶつけることで少しスッキリした。

親という存在は、いつまでたっても親である。思い返せば反抗期、進学時、就職時は親の言うことは聞かず、反抗ばかりしていたかもしれない、それでも親はいつでもそんな私を受け入れてくれて、今でも遠くから見守って・心配してくれているのだろう。

後日、親からお見舞いに行く旨の電話が来た。その時は、この前は少し言いすぎた・・と思ってしまった。