■寛解導入療法(神様・仏様)

苦しい時の神頼み。人間、自分で解決できない困難や不幸が生じた時、神仏の信仰を行いお願いする。一見他力本願のように思えるこの行為、でもこれは自分の心を落着かせ・精神を安定させ・希望をもたせ精神的パワーに変換するには、非常に有効なことだと思う。人間は何かにすがりたくなるものなのだ、弱っているときは特に。

私の家の近くに、パワースポットで有名な大きなお寺がある。初詣にはかかさず参拝している。子供の七五三やお花見、何かあるとよく行くお寺さんだ。

妻の提案もあって、病名が判明し、今後の長い治療生活に向けて病気が治るように「お参りに行こう。」という事で、病院に外出許可をもらいお参りに行くことにした。

久しぶりの外出だ。まさに検査入院をしてから14日ぶりだ。太陽がまぶしい、風が気持ちいい、木々の緑が美しい。なんでもない風景だが特別に感じる。

お寺について、病気平癒の祈祷の申し込みをおこなう。まず、お札を購入。お札をもってお寺の本堂の奥の奥にある祈祷室に行く。そこは薄暗い部屋で、正面に高い台座があり、仏様の神様が祭られている。荘厳な雰囲気だ。台座の端にお坊様がすわっていて、お札をわたす。そしてお坊さんにお経を読んでもらう。お経のなかで、私の名前と私の体が健康になることを唱えてもらった。この日の祈祷は何か特別な力を感じた。きっとこの病気を克服できる。克服する。そう思った・そう思えた。

その後、久しぶりに自宅に帰り、つかの間の休息。子供たちとUNOで遊ぶ。病院の夕食前には戻る必要があったため、夕方前には病院へ。ずーっと病院に引きこもっていたため、健康な体であれば当たり前にできる事だが、全てがとても特別に感じた。当たり前って素晴らしいと感じた。

祈祷をしてもらったお札は、病室の台のうえに配置している。そして、ことあるごとにお祈りをしている。『どうか私の体を健康な体に戻してくれますように。』

後日、妻が「これみてー!」って興奮気味に初詣に、私が引いたおみくじをもってきた。そこにはこう書かれていた。
<おみくじ>
病気:
油断できぬ病症でくる。気永く養生されよ。快方に向かいます。
・・・・

私の病気はきっと治る。そう思った。